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Vol.15
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| ここのところ、考古学や人類学の本を読んだりしているのだが、どうも人類というやつはちっとも進歩していないのでは?と思ってしまう。確かに便利な道具をいろいろ発明した。が、精神のほうは原始人とそんなに変わっていないような気がする。石器から現代テクノロジーへの進歩ほど精神が進歩していたら、今ごろ人類は神の領域に入っていたに違いない。おそらく、神様が人類の精神の進歩にブレーキをかけていて、神様が増え過ぎないようにしているのかも知れない。神は死ぬことがないだろうから、神の国の人口(神口?)が増え過ぎて困っているのだ。 |
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| 古代人(有史以前)の生活について気になっていることがある。まだ布が発明されていない時代、びしょびしょに濡れた体をどうやって乾かしたかということだ。犬や猫などの動物は、ブルブルッと体をふるって水気を飛ばすが、人間もブルブルッとしていたのかどうかだ。我々はブルッとは出来ないが、おそらく猿はできるだろう。人間が猿から進化したのなら、ある時期まではブルブルッとやっていたに違いないと思うのだが・・・。びしょびしょに濡れた人間が、犬のようにブルブルッと体を振るわせているところを想像すると、なんだか楽しい。 |
| ●忠平たちが琉球に渡った以後の記述の要約。 |
琉球に到着した後すぐにやったことは、地下への入り口の探索だった。鍾乳洞に入って地下トンネルに繋がる穴はないか探し回った。琉球一の鍾乳洞、玉泉洞の中も調べたが、それらしい穴は見つからなかったようだ。ただし玉泉洞の中は複雑で探しもれたところもありそうだったが、余りにも時間がかかるので諦めたらしい。地元に伝わる伝説も細かく拾い集めて鍾乳洞を調べたらしいが、トンネルは見つからなかったと記されていた。捜索範囲を、琉球本島から台湾の間に散らばる島々に広げて、渡れる島にはすべて渡って、伝説と洞窟を探したらしい。二人は半年近くも琉球諸島を調べ回ったようだった。 |
| 忠平が地下都市の存在に疑問を持ち始めたときに、バロータから一枚の写真を見せられた。その写真には金のプレートが写っており、プレートの表面には文字とも模様とも思えるものが打ち出されていた。バロータの説明によると、このプレートは、17世紀の終わり頃、スペインの伝道司祭、フランシスコ・アントニオ・フェントス・イ・グスマンがグァテマラのインディオの遺跡から持ち帰ったもので、その遺跡の地下にはトンネルが走っており、長いものは50キロもあったとの報告も教会本部に残されているということだった。そしてプレートの実物は、イタリア貴族の一人が持っており、その貴族こそがバロータのこの地下探索への出資者だということだった。バロータは、地下都市は必ずどこかにあると言った。 |
| 九州を調べているときに二人を訪ねて来た者がいた。男は軍部の者だと名乗り、軍に大きな力を持つ、国粋主義者で神道家のある人物の遣いで来たと告げた。軍部も大陸へのトンネルを探しており、金を出すから探索に協力して欲しいという申し入れだった。バロータは当然断った。軍部の男はバロータの持っている情報を欲しがったが、バロータは取り合わなかったので男は憮然として帰っていったということが、別扱いで記されていた。 |
| 10月26日 |
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| 昨日は飲み過ぎた。オレはすっかりマルコと意気投合してしまった。マルコはいいやつだ。でも気持ちが優しすぎる。漁師はもう少し荒っぽくないとやっていけないかもね? |
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今日、ガンガンする頭でお祖父さんのことを聞いた。以下は、マルコから聞いたお祖父さんの話。
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| 祖父さんたち仲間3人は、イタリア半島のかかとの辺り、アドリア海の出入り口、オトラント海峡に面した小さな漁村から移民して来た。最初はアメリカに渡り、アメリカの捕鯨船に乗って大平洋を回っていた。あるとき捕鯨船が補給に寄った Ukara が気に入って、住み着いたということだ。 |
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| 手帳の入手は、この島に来て1年後の1899年のことだった。Cape of Wind の外側で漁をしているときに、板切れに掴まって流れている人を発見して救助した。男はたいへん弱っていたが息があったので町に連れ帰って介抱した。一昼夜後、かろうじて意識を取り戻し、少し話を聞くことが出来た。男はイタリア語を話したので、祖父さんたちは親身になって話を聞いた。 バロータと名乗った男は「チューヘイ、チューヘイはどうした」としきりに気にするので、助かったのは一人だと話すと、男は泣いた。助けたとき、男は小さなトランクをヒモで手首につないで流れていた。トランクの中の油紙に包んだ手帳は、チューヘイの家族に渡して欲しい、それが出来ないときは誰にも渡さず預かっていて欲しいと言って息を引き取ってしまった。 男を埋葬してしばらく経って、二人の東洋人が訪ねて来た。二人は流暢な英語を話し、日本の役人だと言った。祖父さんたちも英語は少し分かったが、日本人の二人はイタリア語は話せなかった。役人は日本人とイタリア人の二人組を探していて、遭難者を助けたという噂を聞いてUkara に来たといった。二人組は、日本政府の重要物件を持ち出しているので、遺品を渡して欲しいと役人の一人が高飛車にいった。祖父さんたちは英語が良く分からないととぼけていたが、結局トランクは見せた。役人達は強引にトランクを持ち去ったが、手帳は遺言どうり祖父さんたちの手許に残った。 |