![]() |
|
Vol.8
|
|
|
| 生まれ育った風景を懐かしむときに、私達はそこを故里という。私の故里は東京の下町、神田である。しかし故里と呼べる風景はいま、町の所々にわずかに感じるだけとなってしまったような気がする。神田の町から一歩も離れず、いまだに住み続けている幼馴染みが数人いるが、彼等は日々町の変化と共に暮らしてきたわけで、町を離れた私ほどは町の変化に敏感ではないだろうし、故里意識も薄いのかも知れない。 |
![]() |
| この時代、村も町も都会も、何処も彼処も物凄いスピードで変化している。故里が変わってしまい、懐かしの風景が心の中にしか残っていない人が多くなり、ふと訪れた場所のほうが故里の風景に近いと感じることがままあるかも知れない。ポレポレ島の The City は気候も町のたたずまいも神田の町とは全然違う。しかし、なぜか私はこの町に故里の匂いを感じてしまう。町を流れる時間が、少年時代に感じていた時間のテンポを思い出させるせいかも知れない。 |
|
|
| 9月10日、私は一月半ぶりにこの島に帰ってきて、いま City に居る。翌11日、アメリカでテロ事件が起きた。現実のほうが、映画などよりよほどあっけない。たった2、3時間のうちにニューヨークの景色が変わり、多数の犠牲者が出た。マンハッタンが故里だった人々から、そのツインタワーが建つ風景をテロが奪った。何をどう捉えたら良いのか私には判らない。ただ言えるのは、これは自然災害ではなく、人が起こした災害だということだ。自然災害の発生を止める事は出来ないが、人が起こす災害の発生は止める事ができるはずだ。この事件は、人間社会が生んだ一つの結果だ。社会は個人の集合であり、ひとり一人が何を考え、どう生きるかが社会をつくり、結果を出している。こういう悲しい結果を出さないため、何を考えどう生きなければならないかを、私達ひとり一人がしっかりと見つめなくてはならない。 |
![]() |
| 一月半、日本に居て感じたこと・・・。日本という社会は忙しない。じっくりと物を考えながら生きる社会ではなく、次から次と流れてくる時間を一瞬の判断でかわしながら生きていくような社会だ。まるでゲームセンターのドライビングゲームのように。日本という国は情報で溢れている。必要なもの、必要でないもの、どうでもいいもの、とにかく溢れる情報の中を生きてゆくには、じっくりと物を考えていたのでは社会の流れに付いて行けないのだろう。こんな社会に生きていて、人は幸せになれるのだろうか?もちろん幸せの価値観は人様々であろうから、十分に幸せだと感じている人もいるだろう。しかし足元が危ない気がするのだ。どんなに大きな幸せも、足元がぐらついていたのでは落ち着いて幸せを味わうことが出来ないだろう。私は、もう少しゆったりとした時間の中で、一歩づつ自分の歩みを感じて生きることができるような社会のほうが好きだ。 |
|
9月10日
|
![]() |
| 久しぶりにクルマ屋 The Garage の親爺さんの所に帰ってきた。 オレは1日も早くこの島に帰ってきたかったが、まあ、ちょっとした事情があって一月半も日本に居ることになってしまった。自分の生まれ育った国を悪く言いたくはないのだが、日本はこれから先いい国(オレ好みの国)にはならないような気がした。飛行機から下りて島の空気を吸ったときに、なぜかホッとした。 ブギーはいい子にオレを待っていた。親爺さんのことを気に入って仲良くやっていたらしい。やはりブギーは人を見る目がある。親爺さんにお土産を持ってきた。何がいいか散々迷って、老眼鏡を1ダース買ってきた。度の違うやつを2種類6個づつ。なにしろ親爺さんは置いた所を忘れてしょっちゅう眼鏡を探していたから。オレもそうだ、だからオレはあっちこっちに眼鏡を置いてある。眼鏡の束を見て親爺さんは滅茶苦茶喜んでくれた。オレも嬉しい。日本にも良いところはあった。100円ショップだ。プレゼントは金額じゃない、心だ!ブギーには、マタタビが芯に入ったボールを持ってきた。でもマタタビに魅力を感じないのか、それとも子供だましだと思っているのか、ちょっと遊んだだけで後は知らんぷりだった。やつは心より金額かも知れない? |
|
|
| 9月15日 |
| 今日は敬老の日だ。ポレポレ島に敬老の日があるかどうか分からないが、年寄りを敬うのは良いことだから、親爺さんを敬って昼飯をごちそうすることにした。行くのは当然「クッチーナ・タント」例のおばちゃんの店だ。おばちゃんにもお土産がある。4段重ねの竹のザル、これも金額より心だ。使い方を教えたら、おばちゃんは濡らすのは勿体無いから飾って置くと言った。 レストランでもニューヨークのテロの話になった。おばちゃんは「アメリカ人の気持ちは分かるが、目には目というのは、また他に悲しみをつくることだ」と言った。親爺さんは「世の中には話し合っても分からんやつはいる、力で来るやつには力で答えるしかないよ」と言っていた。オレはどっちの意見も正しいと思う。人類の発生以来人間って大して進歩していないらしい。人の心の中にある争うという気持ちは今も原始時代も変わらないとしても、手にしている武器がまるで違うから、争いの結果、悲劇は桁違いに現代のほうが大きい。 人類がもう1段階上に進化しないかぎり、こういう事は永遠に続くような気がする。 |
|
|