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文:(清)
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| 万華鏡というと子供の頃、オモチャ屋あるいは駄菓子屋でも売ってただろうか、確かいろとりどりの千代紙で包まれていた例の円筒状のもの。 「万華鏡の中には異次元の世界が存在する」とよくいわれるが、今は初めて見た時に鮮烈な印象というものがあったのかないのかも忘れて久しい。「どうせ見ても知ってるあれだ」というぐらいで特にのぞき込むこともしなくなったのだが...。 さてその万華鏡、日本のものと思う方も多々いると思うが、実は1813年にスコットランドの物理学者デヴィッド・ブリュースター卿(Sir.David.Brewster)によって発明されたものだ。彼は、光学や光学機器に関する様々な研究を行い、物理学者としては、偏光に関する「ブリュースターの法則」を発見、私達にとって一番なじみのある、赤、青、黄を「色の三原色」として定義した人物らしい。 又、彼はフレネルレンズを発明して、灯台の投光性能の向上に大きく寄与した人でもあるが、この経験をヒントとし、複数のガラス板を角度をつけて組み合わせ、これを筒の中に組み入れたものをカレイドスコープと名付けて発表した。これが当時のロンドンやパリで「偉大なる哲学的な玩具」として大評判になり、この後、瞬く間に世界中に広がってゆく事になる。 |
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1819年には日本に渡来。大阪の年代記『攝陽奇觀(せつようきかん)』には「紅毛渡り更紗眼鏡流行 大阪にて贋者多く製す」という記述がある。その後明治時代に入っては「百色眼鏡(ひゃくいろめがね)」とも呼ばれ、さらに改良されたものが「万華鏡(ばんかきょう)」として人気を集めた。これ以降、現代まで誰もが知っている子供の玩具として、又、観光地でのお土産として日本で定着、広く愛されたのだ。 万華鏡は当時の日本にブームを起こしたが、アメリカにも同様に伝わり、日本人が千代紙で化粧をして「きれいだなぁ」と満足している間に、アメリカではステンドグラスの職人たちや色々なアーティストが、それをよりファンタジックなツールとして生まれ変わらせる作業をした・・彼らのその作品は逆にビクトリア朝のイギリスに渡り、サロンで貴族達に人気を得たりもしたそうだ。 そして昨今では美術工芸品/アートの域にまで完成され、そのブームが再来しているという。 もともと多分に人々の心に癒しやインスピレーションをもたらすツールが、美術品としても洗練されてしまっているものだから、それも当然という事だろう、それが今回紹介するアメリカ製のカレイドスコープだ。 これには「どうせ見ても知ってるあれだ」という私の万華鏡に対する偏見を180度変えさせられる事になった。今回はその万華鏡の専門店!東京・麻布十番にある「カレイドスコープ昔館」に出掛け、第一人者である「荒木 路(みち)」さんに話しを伺った。 |
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| 「私が従来どおりではない万華鏡の存在を知ったのは、テレビから聞こえる『ニューヨークにある万華鏡専門店!』という声と数秒もあったのかというカメラパーンによって、映し出された店内だったの」と彼女はいう。 そしてそれを見たとたん、すぐに彼女はアメリカを良く知る友人に頼み、万華鏡を買い付け、いきなり店をオープンしようと決めたのだった。 しかし、頭の中で組み立てたストーリーだけでは満足がいかず、ニューヨークにあるその専門店に赴く事にした。 しかし、やっと探り当てた現地の「万華鏡専門店」は名ばかりで、店の一角で一部万華鏡を売っているのみだったという。おまけに、彼女はその店主に「万華鏡専門店を出したい」と相談しても、「それでは商売にならない、他のものも売るべきだ」と忠告される始末。どうしても諦められない彼女は友人に頼みやっと探して当てて貰ったダンボール10ケース分の万華鏡の中にあった一冊の本「カレイドスコープ・ルネッサンス」の著者「コージー・ベイカー」を訪ねる事となる。 このコージー・ベイカーこそが万華鏡の発明者であるブリュースターの名を冠した「ブリュースター・ソサエティ」の会長であり、万華鏡を単なる一過性のものに終わらせずに、1つの文化として定着させた人物だ。彼女はその足で即通訳を手配しワシントンへ飛んだ。 この米国万華鏡協会の会長は仲介者を通じて彼女の情熱を知り、自己紹介を済ませるなり「貴方の店に合うような万華鏡アーティストをすでにピックアップしてあるのよ」と彼女に伝えたという。 |
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で、麻布十番に念願の万華鏡専門店が開店の運びになる。その当時は知人でさえ「誰もがそんなもの成功しない」と言っていたようだが、彼女の信念と情熱が勝った。 それからの彼女は、おざなりの既製品(といっても丹念にひとつひとつ作られた素晴らしいもの)のみならず、直に万華鏡アーティストに発注し、ダメだしをし、オリジナル品までを発表出来るようになったという。 そして店舗の拡大や取材で繁多な今も彼女は「ただ好きなことをしているだけ」とポレポレスピリット満載で、うれしい美女なのであった。 |
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