22.May.2002
 7時にはディレクターのエイミーさんが画廊に迎えに来るので、ホテルを朝6時ちょっと過ぎにチェックアウトして、急いで画廊に向かった。基地のセキュリティーチェックが厳しくなって、エスクォーターが一緒じゃないと基地の中には入れない。エイミ−さんがエスクォートして、彼女の車で連れていってくれることになっているのだ。レンタカーも基地内に入れないらしい。
 ここ数年、基地のセキュリティーは厳しくなっていたが、去年の9月11日以降、セキュリティーはさらに厳しくなって、セキュリティーチェックに時間がかかるため、朝のゲート周辺の道路は交通渋滞が激しいらしい。その渋滞にハマらないうちにと朝早く画廊を出発するのだ。
   基地に入るには、その日ごとに通行許可のIDカードを造ってもらわなければならない。普通はゲート脇の事務所で造ってもらうのだが、今回はあらかじめエイミ−さんが造っておいてくれたので、ゲートでは免許証(身元確認)を見せるだけで通ることができた。基地内に出入りする車はすべて登録されており、登録証がフロントガラスに貼ってある。登録証には階級が書いてあったらしいが、テロ事件以後はセキュリティーの観点から将校と一般兵の色分けだけで、詳しい階級は書かなくなったそうである。
 ゲートを通って基地の中に入るとのんびりしたものである。広い道路に芝生、学校に向かう子供達がのんびりと歩いている。しかし交通ルールは厳守らしい。どんなに空いていても速度はきっちり守って走っていた。スクールゾーンに入ったら30キロ以下だ。
ゲートの向こう側はアメリカだった。
 今日は午前中に3回デモンストレーションやる予定になっている。レクチャーとデモンストレーションといってもレクチャーの部分はエイミーさんがやってくれる。私の英語力ではレクチャーにならないので、あらかじめ彼女と打ち合わせしてあり、私のデモンストレーションに合わせて説明してくれることになっている。もっとも、45分の間に小品だが3枚刷り上げなければならないので、説明などしながらでは間に合わない。刷り上げた作品は、最後に抽選で子供達にプレゼントすることになっている。
 この学校は1年から9年生までで、日本の小、中学校を一緒にしたような学校だ。参加した生徒はアートクラスを専攻している生徒らしい。皆とても熱心に私のデモンストレーションを見ていてくれて、どんどん質問をして来る。1色刷り足すごとに反応があり、絵が大きく変わる版を刷ってみせると歓声と拍手が起こる。デモンストレーションのやりがいがあるというものだ。
 アメリカの学校では、基本的マナー、ルールはしっかり厳しく守らせるが、後は自由にやらせるようで、子供達がのびのびと個性豊かに育っているようだ。日本の学校は、校則で細かい所まで決めてあるせいか、かえって規則の運用がルーズになっていて、いつもどっかで規制されて自由な自主性が育っていないような気がする。
 デモンストレーションは慌ただしかったがふじに終わり、子供達にも先生達にも好評であったようだ。昼食はエイミーさんがショッピングセンターのカフェテリアで美味しいものを御馳走してくれるというのでついて行く。そこは『CINNABON』というシナモンロールを出すお店だった。アメリカでは有名なお店らしいが、日本に出店しているかどうか?私は見たことがなかった。大きなシナモンロールだったが、しっとりした独特の食感がありとても美味しかった。日本でも流行りそうだ。
 食後ショッピングセンターの中を散策。日本風というか東洋風というか、アメリカ人がイメージする日本を売っているお店が並んでいた。「フジヤマ、ゲイシャ」ほどではないにしても、まだまだ日本の文化は理解されていないようだ。まあ、我々だってアメリカのことをほんの表面しか知らないわけだからお互い様か!?
沖縄では、ゲートを挟んだだけで日本とアメリカの文化が接しているのだから、もっと積極的にお互いの理解があってもいいような気がした。
『CINNABON』とインテリア雑貨を売るお店。ばかでかい陶器の壷が$700だった。
 画廊に戻って、明日の準備を済ませれば、私は夕方まで暇になる。空は曇りだが時々ザ−ッと雨が降るので、画廊の回りをブラつく。この画廊は開店して30年になるそうだ。開店当時、周りは閑散として眼下は海まで大した建物もなく緑が続いていたそうだが、今は、道路一本隔てた下にはラブホテルが2軒並び、すぐとなりには南欧風のレストランが建築中というのが現状だ。が、私は昔を知らないから、これでも結構素敵な場所だと思っている。
 6時に、30年間沖縄で教師をして、6月にドイツに赴任することになったナンシーさんのお宅に伺うことになっている。彼女は百数十点版画をコレクションしている。
コザの新しい商店街と歩道に咲く花。
 ナンシーさんとジェイさん夫婦は基地の外の米軍ハウスに住んでいる。軍関係者で長く居る人は、何年かすると基地の外に住まなくてはいけないらしい。その地の生活に馴染ませるためらしい。文化交流ということか・・・。
 ナンシーさん夫妻はドイツ赴任の後退役してアメリカ本土に帰って老後を送るらしい。どこか忘れたが、プール付きの大きな家を買ってあるそうで、そこでの夢を話してくれた。沖縄での生活が一生で一番長くなってしまったと、寂しそうに言っていた。
 お別れ会を兼ねてコザに食事をしに出た。コザは昔ゴヤと言ったそうだが、戦後占領軍の書き間違えでコザになってしまったと言う話を画廊のオーナーから聞いた。沖縄署があるゴヤ十字路から第2ゲートに向かう大通りと平行に新しいコザの商店街が出来ていた。開店30年という沖縄風タコス屋さんで食事をし、画廊の近くに戻って、洒落たティールームでデザートを食べ、しばし歓談。
 明日は2校、計4回のデモンストレーションがある。デモンストレーションは疲れないのだが、早くも英語疲れが始まった。

  
画廊を一回りして撮った植物。
やはり沖縄、南国風!