飛行場からホテルまでは島で唯一舗装された道路を走ることが出来る。この道路はA1と呼ばれていて、50年代にイギリスの統治領だった頃に軍事目的で建設されたのだが、島には数える程度の車しかないので激しく痛んでいるといった様子はない、当然左側通行である。飛行場からほどなくして最初の村にさしかかる。

バナナ村というその小さな村には500人ぐらいは住んでいるのだろうか、大きなマニアバ(集会場)があってその傍らにおばさん達が集まっている。南洋の島で一番大切なことは目が会ったら挨拶をすることだ。クリスマス島も例外ではない。車の窓から右手を挙げて大きく手を振る。相手が子供だと両手を振り返してくれるが、大人達は歯が見えるくらい大げさに笑ってあごの先をちょっと上に向けるだけである。実はこのあごをあげる挨拶が意外と便利なのだ、ちょうど日本人の会釈の反対なので慣れるまでに時間がかかるが、慣れてしまうと両手に荷物が一杯でも、挨拶が出来る。挨拶ができれば誰とでも友達になれるのでこれが出来るのと出来ないのとではその後の島の生活が若干変わってくるかもしれない。


誰彼とわず挨拶をするという習慣がない日本人にはなかなか慣れないことだが、慣れてしまうと日本でもこれが出来ればいいのにと思う、1週間もすると反射神経的にあごがあがるようになるのだが、そのままホノルルに戻って浅黒い顔と目が合うと自動的に...ハワイでさえ変人扱いされかねない。多分人口が少ない島国ならではの習慣なのであろう、ちなみにクリスマス島には3500人程度しか住んでいない。ほとんどが顔見知りなので酔っぱらった時に喧嘩をするくらいで、犯罪と呼べるような悪さをする連中はいない。その証拠に島には刑務所がない。

バナナ村からは10分もかからずにホテルに到着する。Captain Cook Hotelという名前の公営のホテルだ。その名前の由来は1777年までさかのぼる。この年のクリスマスイブにクック船長がこの島に上陸したことにちなんでクリスマス島という名前をつけたそうだ。クック船長はその後ハワイまで航海をして、そこで酔っぱらいとのいざこざが原因で刺し殺されたという話だが、名前だけはこの島にも残っている。残念ながら証拠になりそうなモノは彼の航海日誌しか残っていない。もちろん“上陸の碑”などというような気が利いた観光名所も島内には見あたらない。

Captain James Cook
1728-1779
イギリスの有名な海洋探検家、エンデバー号艦長として南太平洋を中心に3回に渡る航海を行った。

ハワイにはモニュメントとして白いオベリスクが建造されている。


ホテルは道路と同じで兵隊の宿舎として建設した建物を改装して使用している。改装したのが日本のNASDA(宇宙開発事業団)だったので各部屋のコンセントは日本のものと同じで便利だ。部屋は宿舎を改装したスタンダードタイプとその脇に立てられたコテージタイプがある。スタンダードタイプにはクーラー付きの部屋もあるが、島は日中こそ暑いが夜は貿易風のおかげでかなり涼しいので迷わずコテージを指定する。珊瑚礁からできた石灰質の岩と椰子の木と葉で出来た質素なコテージにはベットが二つとトイレとシャワーがついている、素晴らしいことにシャワーは温水が使える。辺鄙な南洋の島ばかりを渡り歩いている人には分かっていただけると思うのだが温水のシャワーがあるというのは別格だ。

ホテルの宿泊料金は3食付きでUS$1,000-程度、はっきり言って高いがそれに見合う価値はある。


けっしてリゾートホテルとは言えないが、Main Campと呼ばれるこのホテルには独特の雰囲気があって居心地は最高だ。外洋に面したコテージからは荒々しい波頭を見ることが出来るし、その波の生み出す轟きは一晩中耳元にこだましている。3食サービスされる食事も旨いし、食事をしながら様々なゲスト達と話が出来る気さくな一体感が素晴らしい。不便なのは電話が一向に通じないことと部屋の値段がころころ変わることぐらいだ。電話が通じないということはインターネットにも接続出来ないので、折角持ってきたラップトップもほとんど役に立たない。


ホテルから20kmほど離れたところに島のダウンタウン「ロンドン」がある。そこに衛星受信設備がありその施設とホテルとはUHFの無線電話で繋がれている。数年前までは衛星回線が5回線しかなく絶望的に電話は話し中だったのだが、昨年からその回線も80回線程度に増やされている。しかし、中継施設のUHFアンテナが壊れているので、ホテルでは緊急用の1回線のみが使用出来る状況がずっと続いている。アンテナを修理するための部品は届いているのだが修理する気がいないらしい。それでもどこからも苦情が出るわけではないので翌年も同じ状況にあることを想像するのはたやすい。


この島での最初の目的はクリスマスカードに消印を押すことだ、荷をほどいてレストランのセルフサービスのサンドイッチで簡単に昼飯をすました後、郵便局があるロンドンに向かう。ロンドンまでは30分ほどのドライブの途中には、島一番の大きな村があったり、学校や教会、小さな商店、見所は満載だ。とばせば20分ほどの道のりに大抵1時間以上かかってしまう。道路には信号は無いし標識も見あたらない。唯一「Bumping」という道路上の突起が4箇所ある。

村の入口と出口に設置されている突起は徐行して越えなければならないし、凸と凸の間の区間はゆっくりと走らなければならない。この規則と左側を走ることを守れば誰も文句は言わない。しかし夕暮れ時は要注意である、道の両側に立ち並ぶ椰子の木の陰と凸の影が重なって区別がつかなくなる。80km/h位のスピードで凸に突っ込むとそれこそ車が跳ね上がってしまう。ちなみに免許制度がどうなっているのかは定かではない。一度警察署にこの国の免許証が欲しいとお願いに言ったら大臣に聞いてくれと言われてしまった。秘書官に相談に行こうかとも思ったが、日本人には必要がないよ!と一笑されるのが分かっていたのでこの時はあきらめたが、いつかは免許を取得してやろうと思っている。


ロンドンからホテルを越えてバナナ村までの間は乗り合いバスが走っている。バスと言っても7人乗りのワンボックスカーに15・6人を詰め込んで走る白タクの様なものだ。キリバス人はガタイがでかい、バスの窓から中を見ると、まるで瓶詰めのピクルスのようになってそのでかい身体が収まっている。僕は乗ったことがないがロンドンからホテルまでAS$2.00程度だそうだ。

レンタカーは一週間でAS$500-程度で借りることが出来るが、どこかが壊れていることを覚悟して借りなければならないし、壊れているからと言って部品があるわけではないので直すことも出来ない。その代わりちょっと壊しても文句は言われない。この時に借りた車は10年落ちのSUZUKIのエクシードだった、北海道から流れてきた車で窓にはKIRORO Resortのシール、タイヤはスタットレス。ウインドウオッシャーは運転席側しか出ないし、走っている内に助手席側のパワーウインドウが閉まらなくなってしまった。走っている時は窓など閉めないのだが、夜コテージの脇に留めておく時に空けたままにしておくと、翌朝車の中は大きな波が生み出す潮の飛沫でびしょびしょになっている。飛沫は風に乗って部屋の中まで入ってくるが、この塩がほとんどの物を壊してしまうのだ。そんな状況の中でエンジンがかかる車が借りれることは贅沢なことだ。


キリバス共和国という国の東端に位置するこの島は、ライン&フェニックス諸島グループに属していて、キリバスの国土面積の半分を占める貴重な島である。そのライン&フェニックス諸島グループの官庁施設がここロンドンに集まっている。といっても平屋の長屋が2棟あるだけでその中に銀行・郵便局・教育省・環境省・そして大臣のオフィス等が入っている。とりあえずポストオフィスに挨拶に行く、そこには見覚えのある顔がちょっと照れくさそうな笑顔で迎えてくれた。オフィスのスタッフのバータイヤ君は3年前に始まったこのクリスマスカードプロジェクトには初年度から関わってくれている。今年はこれだけあるよと4箱のダンボール箱を見せると、笑顔のまま消印を僕たちに差し出した。本来なら2500セットのカードを彼に預けて僕たちの任務は終了というところなのだが、そんな数のカードを彼に渡したら、それこそ1ヶ月たっても消印を押し終わることはない。3年前にこの郵便局を訪れた時に見せて貰ったイギリス製の消印はすでに壊れていて、その日付は1999年7月17日で止まっていた。どう工夫しても日付を動かすことが出来なかったので日本で作って寄贈した。方々あたってみたのだが日本の郵便局の消印を製作している会社を見つけることができず、ゴムの日付印に工夫を凝らして消印にしたものだ。どなたか金属製の消印を製作する会社を知っている方がいたら是非教えて欲しい。

消印を押すポーズで記念撮影中のバータイヤ君

とてもしっかりと作られた消印なのだが、日付が変更出来ないのでは役に立たない。


消印を受け取って大臣の事務所に挨拶に向かう。この週、大臣は首都があるタラワ島での会議に出席していて不在だったが、秘書官が出迎えてくれた。僕はカードプロジェクトの他に、クリスマス島特産の天然塩のプロジェクト、それから島のゴミを再資源化して循環させるプロジェクト※1にも参加しているので、それらのプロジェクトの現在の状況と翌年の予定をまとめて数日後に見せて欲しいというリクエストを残して事務所を出た。ここの事務所には女性スタッフが6名ほどいてまったりとくつろいでいる。中の一人などは机の上にうつ伏せに寝転がって同僚とだべっている。まるでマグロだ、と思っていたら、向こうもひそひそ話しながら笑っている。どうかしたの?と聞くと、あなたは昨年も来たでしょう、私は憶えているわよ、とのんびりした英語で話し始めた。キリバス人の女性はお相撲の人のような立派な体をしている。女房が痩せこけていると旦那の甲斐性が無いと思われるそうだ、そんな彼女たちの年齢を当てるのはとても難しい。向こうも日本人の年はわかりにくいのでお互い様だ。僕は35才だが彼女たちには26・7才に見えるらしく、どうやら、あの日本人は結婚しているか?一緒につれてきた女の子がワイフなんじゃないか?とか、独身だったらあんた結婚したら!とか、そんなことをキリバス後で話して笑っているらしい。ん〜うわさ話は楽しいだろうけど、ちょっとは仕事しろよ!

※1クリスマス島クリーンアップ基金のホームページも是非ご覧下さい。