ミステリアスなマノアは、雨の香り

 ワイキキから車で15分程度の山の手にあるマノア。うっそうと茂った緑濃いこの地区には大きなショッピングセンターがあり、毎週日曜になると新鮮な野菜や果物を売る『朝市』が立つ。私はここへ、月に何度か食料品を買いにでかける。早朝のマノアは、空気もおいしいし、小鳥が囀る中でのショッピングは最高に気持がよい。そして帰りがけに必ず「ザ・コーヒー・ビーンズ&ティーリーフ」という、お気に入りのコーヒーショップに立ち寄って、コーヒーを買って帰るのが楽しみのひとつでもあった。


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 ちょうど1年ほど前のこと、いつものように朝市に出かけ、帰りがけにこのコーヒーショップに立ち寄ったところ、店内の真ん中あたりの席に座っているひとりの男性がいた。なぜか私が店に一歩足を踏み入れた瞬間、彼と目が合い、お互いに釘付け状態になってしまった。どこかで会ったことがあるわけでもないのに、なぜか知っているような、なつかしさと、心の中でのつながりを感じてしまったと言えばよいのだろうか、今までにない不思議な気持になった。しかし「あなたはどなたですか?」と声をかけることもできず、そのままその日は立ち去った。
その後、いつも適当な時間に朝市に行き、気まぐれにコーヒーショップに立ち寄っているにもかかわらず、なぜか彼とそこで出会うことがしばしばあり、出会うたびにふたりは釘付けになってじっと見詰め合うものの、そこから何の進展もできないでいたが、今年の春に久しぶりに再会したとき、目が会った瞬間にお互いがなぜかはっとして、思わずお互いに「ハイー!」と声をかけあった。
しかしその後がどうしても続けられず、話したい気持でいっぱいでありながらも、そのまま立ち去った。それから4ヶ月、彼はコーヒーショップには現れず、「あの日声をかけておけばよかった…」と正直後悔した。

 名前も何もわからない彼のことを、私は「マノアのミステリーマン」と名づけ、あれやこれやと推測してみた。きっと建築デザイナー、きっとアメリカ本土から引越ししてきてそんなに長くない、きっとイタリアとかギリシャ系などなど。でもそういう想像が膨らめば膨らむほど、本人に会って確かめたくなってしまった。確かめてどうするか? と言われたら、よくわからないが、ようするに彼のことが気になり始めていたのだった。しかし、「また彼に会えるかしら?」と思って出かけると、彼の姿はそこになく、がっかりする日々が続き、ほとんど「もういいや!」と思い始めていた。

 そして7月に入ってすぐの日曜、すっかり彼のことを忘れてそのコーヒーショップに足を踏み入れたとたん、目の前に席に彼が座っているではないか? もちろん再び見詰め合うふたり…。でも「うーん、だから何だっていうのよ! どうにもならないから、声なんてかけなくていいわよ」と思い直し、注文したコーヒーが出てくるのをカウンターで待っていた。その間中彼の視線を背中に感じながら…。やがて注文したコーヒーが出きて、それを持って出口へ向かおうと振り返ったところ、なんとさっきまで晴れていた空が、なぜか、ほんとうになぜか、突然のどしゃぶりに! これじゃとてもじゃないけど、駐車場まで歩いていけない。

「うーん、これって彼にしゃべりかけろってことか?」
と思い、勇気を持って「久しぶりね、しばらく見かけなかったわね」と声をかけてみた。
 それがきっかけで1時間以上、ふたりはしゃべり続ける結果になった。はっきりいってこんなに意気投合できる人と、しばらく出会ったことがない。まったく白人に見える彼のひいおばあさんは日本人だったという以外な事実、建築デザイナーではなくて家具のデザイナーであるということ、イタリア&イギリス系のアメリカ人であることなど私のミステリーは徐々に解決に向かっていた。
 「失礼なことをいろいろ聞いてごめんなさいね。あなたにここで会うたびに、なぜか気になっていて、それがそのうちミステリーのようになって…」
という私に、彼は笑いながら
「大丈夫。実は僕も君のことがとても気になっていたから」
と言ってくれた。ところが、彼はこのあとほんの数週間で日本へ旅立ってしまうことになっていた。なんでも日本の家具のデザインの修行のために約1年近く日本に住むのだという。せっかく知り合えてお友達になれたのかなと思ったとたんのショックであった。でも別れ際に「君とはもっと話しがしたいな」と言われたので、名刺を手渡し「メールでも電話でもちょうだいよ、日本に行く前に」と言うと「わかった、そうするよ!」と微笑んでくれた。

それから数日が過ぎたが、彼から連絡はなかった。
「やっぱり忘れてしまったんだな、私のこと」
と少しがっかりした。そうこうするうちに数ヶ月が過ぎ、彼のことをすっかりと忘れてしまっていたある9月の末。突然彼の顔が何度となく頭に浮かんでは消え、そういう状態が数日続いた。
「どうしてなんだろう?」と不思議に思った。
そして日曜日、いつもより朝寝が過ぎて、朝市への出発がかなり遅い時間になってしまったが、いつもどおりにコーヒーショップにも立ち寄った。ふたたび彼の顔が頭をよぎり「でも日本に行っているはずだから、居るはずないよ」と自分に言い聞かせながら、店に一歩踏み込んだところで、固まってしまった…。なんとそこには、彼が微笑みながら座っているではないか! 信じられない気分で「日本に行ったんじゃなかったの?」と声をかけてみたら「行ったんだけどね、事情があって一旦ハワイに戻ってきたんだ。たぶん12月ごろに再び戻るつもりだけど」と彼。
「なぜか数日、あなたのことが頭に浮かんでいたのよね」というと
「実は、僕もなんだ。本に挟んでおいた君の名刺が、突然目の前に飛び出してね、君に連絡するのを忘れてたって思い出したんだよね」
とバツが悪そうに笑った。それからしばしの間、ここ数ヶ月の彼の日本滞在の話などに花が咲いた。そして「しばらくハワイにいるんだったら、また会いましょうよ」と言いながらコーヒーショップを後にしようとしたそのとき、突然ザーと大雨が降り出した。

顔を見合わせて「初めて話をした日と同じだね」と笑った。
ちょっぴりミステリアスで、ロマンティックなマノアの雨の香りが、ふたりの再会を祝ってくれたかのように、さわやかに漂っていた。