「メレ・カリキマカ」は、ワインの香り

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 暮れも押し迫った12月のある週末、家の近くにあるハワイアン・バーに出かけ、知り合いのバーテンダーをからかいながら、昼下がりのトロピカル・ドリンクをカウンターで楽しんでいた。「今年のクリスマスはどうするの?」と聞くバーテンダーのジェフに「クリスマスかあ…」っと思わずため息。
 そういえば今から約25年前、初めてハワイを訪れたのがちょうどクリスマス前だった。アラモアナ・センター近くのホテルの20階に泊まり、初めての一人旅、しかも海外ということで、なんとなく眠れずにいた夜。夜中過ぎにホテルの窓から外を眺めたら、ちょうど向かい側に立つコンドミニアムの15階の部屋が見えた。夜中だというのにカーテンが開け放たれ、広いリビングルームにはグランド・ピアノが一台と、その横に美しく飾られた大きなクリスマスツリー。「ロマンチックだなあ」って、その光景をじっと見つめていたことをふと思い出した。「そのコンドミニアムって、アロハ・マカイって名前のやつじゃない?」とジェフ。「そうそう、あの時は知らなかったけど、最近そういう名前だって知ったのよね」「で、そのコンドにいつか住みたいとでも思ったの?」とジェフが問いかけたとき、私が座っていたすぐ横のラウンジで、ピアノ演奏が静かに始まった。

    

 私がじっと無人のリビングルームを見つめていたあの夜も、今目の前に突然現れてピアノを弾き始めた初老の男性のように、ワイン・グラスを片手に突然部屋に入って来て、ピアノを弾き始めた男性がいたのだった。彼は黒いタキシードを着て、年齢はおそらく40代ぐらいの黒髪の白人男性。無人だったリビングが、彼の登場でますますロマンチックになり、まるで映画の中のワンシーンを見ているような気分になった。
 ワイン・グラスをピアノの上に置くと、おもむろに何かを弾き始めた彼。当然彼が何の曲を弾いているのか聞こえるはずもなかったが、ロマンチックなクリスマスの曲が聞こえてくるような気がしてしまった。何時間も私はその男性を見つめていた。その男性もまるで私が見ているのを知っているかのように、もくもくとピアノを弾き続け、時おりピアノの上に置いたワインを手にしては味わうように、そして少し何かを考えこむようにして飲んでいるのが見えた。私も冷蔵庫に冷やしてあったワインのミニ・ボトルをグラスに入れ、彼と一緒にワインを飲み始めた。夜中の3時半まで、私と彼はそうやって一緒にワインを飲みながら、彼が奏でるクリスマスの雰囲気を楽しんでいた。そして朝5時半、いつのまにか眠ってしまった私が目を開けたとき、そのリビングルームにはまだ明かりが煌々と灯っていたが、その男性の姿はなかった。翌日も、またその翌日も、私がハワイを発つまで、夜になると彼の登場を窓際で待ったのだが、遂に彼は二度とそのリビングルームには現れなかった。

 私がジェフにこの懐かしい思い出を話し終えた時、ピアノを弾いていた男性がワイン・グラスを2つ下げてカウンターにやって来た。「アロハ!今、少しだけお話が聞こえました。25年前、そのコンドのリビングでピアノを弾いていたのは、僕だと思います。あの夜、一緒に過ごすはずだった彼女が現れず、僕は悲しくて一人でずっとピアノを弾き続けていたのです。ずっと一人で弾いていたと思っていたのですが、聞いていてくれた人がいたのですね、一緒に時を過ごしてくれていた人がいたのですね、ありがとう。感激です!」
 あっけにとられている私に、そのピアニストは「メレ・カリキマカ!(メリー・クリスマス)」と言いながら、ワイン・グラスを差し出した。25年前の思い出がワインと共に心の中に甘く切なく染みわたった。