福岡県宗像郡花見浜の近くにある、石井忠さんの家を訪れた我々を待っていたのは、自然が生み出したものと人間が生み出したものがゴタゴタと置かれた、今までみたこともない光景だった。天井からはイルカの骨がぶらさがり、壁の棚には薬瓶に入れられた植物の実や、見たこともない貝がところ狭しと並ぶ。そのまま視線をずらすと、アカクミ、浮きといった古びた船道具の山や、透明のガラスの小瓶のかたまり。漂着物が無造作に置かれた、その物置は、中学校の理科室のようでもあり、子供の隠れ家のようでもある、楽しげな空間だった。

「漂着物というと、なんとなくロマンの響きがありますが、それは海流によって遙かなる八潮路を運ばれてくる東南アジアの果実、種子、玄海沿岸や河川からのゴミとさまざま。でも、熱中すると、たとえそればゴミであろうとも、もうゴミではなく、手に取らずにはいられないものになります。道具などは不要になって捨てられたものですが、漂い、岩に打たれ、砂にもまれながら、いつしか角がとれ、本来の目的を失いながら、違った美しさを醸し出すのです。」

 漂着物の魅力を石井さんはこう語る。昨年は、長江の大洪水の影響で中国製品が大量に流れてきた。流木や根っ子つきの竹、建築材の一部、中国製のポリ容器やガラス瓶も目についた。漂流した中国製ライターには「鵬程万里」(遠路はるばる、前途洋々の意味)の文字が。そんな文字が書いてあるだけで、急に薄汚れたライターがロマンチックなものにみえてくる。
 海を媒介とした石井さんとモノの出会い。そこには常に大きな感動があった。「漂着物との出会いの中で一番印象に残っているのは、オウム貝です。生きた化石と呼ばれるこの貝はフィリピン・ルソン島付近が生息地ですが、貝類図鑑で『ときたま日本にも漂着する』と書いてあるのをみて以来、毎日『オウム貝、オウム貝』と浜を探し歩きました。
 最初の一個目を拾った瞬間は、今でも鮮明に覚えています。1970年12月10日、玄海町上八浜。その日は風か強く吹いていて、漂着物がありそうな気がして浜に向かいました。行ったら予想通り、椰子の実やウミガメが流れ着いていて、とても条件のいい日でした。そのときいはオウム貝のことは忘れていたんですね。ふと足元を見ると、オウム貝が。『拾った!拾った!』。幾度も叫んでしまいました。現在、石井さんが拾ったオウム貝の数は4個。2個目を手にしたのは、その年の暮れだったが、3個目に出会ったのは、それから11年後。4個目は83年11月の事だった。
「私が拾った4個とも、前日か前々日に海が大荒れしたときに漂着しましたが。大嵐のときよりは2〜3日後のほうが多く漂着物が流れ着きます。今日は何もないだろうなと、ふらっと出かけたらイルカとかソデイカがうちあがっているなんてうれしいときもあります。」
 漂着物採集も、はまり込んだらとても楽しい。どんな出会いがあるかは、とにかく海へ行ってみないと分からない。
「僕にとっては海とは先生のようなもの。漂着物は海から出される宿題なのです。僕は社会科の教員でしたので、歴史的なことの知識はありますが、動物や植物の世界は未知の世界。漂流物の一つ一つは、僕にとっては始めての出会いだから、それが何なのか、どんな種類なのか、どこから来たのか、何に使われて来たのか、一つ一つ出所を調べていく、その過程もたまらなく面白いです」
 まさに、海は自然の先生であり、石井さんの知識を広げる大きな窓口のようなもの。石井さんにとっては、大きな存在だ。
1937年、福岡生まれ。1961年、国学院大学卒業。中学・高校教員を経て、現在九州産業大学非常勤講師(海浜漂着物文化論)、宗像市文化財専門委員、福岡市文化財保護指導員、福岡市文化財保護審議会委員。
著書に『新編 漂着物辞典』(海鳥社)、『漂着物の博物誌』(西日本新聞社)。『海辺の民族』(新潮社)などがある。1998年には、第6回福岡県文化賞を受賞。
石井 忠
漂着物図鑑