屋久島の海岸に近い常緑樹林や沖縄、台湾、中国南部、西インド、アフリカなどの熱帯地方に分布するモダマ。莢(さや)や種子が大きい(直径60~90mm、厚さ15mm)、ジャンボ豆である。モダマは「藻玉」と書き、波打ち際で海草に混じって打ち上げられるので、その名がついたという。 冬が最も厳しい頃になるとハリセンボンの漂着が多い。波打ち際にハリセンボンがうち寄せられてる様は、針や鰭が風に吹かれて震えているように見えて、かわそうだなあという気持ちになる。海岸で人と会うと「今年はハリセンボンが多かですな」とあいさつするほど多く漂着する年もあれば、全くない年もある。
中華人民共和国製のウキは青色や灰色、12mmから14mmの小型が多い。漂着するのは、「福建省」「浙江省」と記されたものが大部分。96年から97年には、長さ11cmのものが大量に漂着している。オレンジ色で目に付きやすく中国製造とあった。同色同型で「フロート」と日本語で陽刻されたものもある。
海岸を歩いていたら、漂着しているのに気づき、おもしろいから拾った。水牛に乗って笛を吹いているようにも、荷物をかついでいるようにも見える。元々はオマケか何かで、下に車が付いて動かせるものだったのでは。

73年10月、小さな木杯を拾った。手にとると、日本と欧米を線で結んだ世界地図が書いてある。裏には金文字で「大正十・十一年度 世界周航紀念 軍艦出雲」とある。「出雲」は明治30年にイギリスで建造されたもので、排水量9750トンの装甲巡洋鑑。

航海の安全を祈って、船の中央に置かれる、船の神様。家型のものは中がくり抜かれていて、中に男女一対の人形、一円玉、女の毛髪、サイコロ二個、それに五穀を入れる。おそらく、廃船のときに取り外して、海に流したものと思われる。この船霊からは海が荒れるときある種の音が発せられるといわれている。
95年7月に津屋崎勝浦浜に漂着。高さ32cm、幅7cm。硬い木に彫刻され、表面、特に凸面は擦れて、漂着したものに違いない。足元の台の部分に薄くフランス語でヌメアの文字が。ヌメアはニューカレドニアである。ニューカレドニアの土産であろうか。直接の漂流ではなく、日本で捨てられた可能性がある。 ニッケスイは明治中頃からではじめ、現在も駄菓子屋や祭のときに見られる。現在のものはガラス瓶の加工もよく、気泡もほとんどなく均整がとれていて綺麗である。古いものには気泡があり、いびつで、しかも長期間、海を漂い、漂着して摺れるせいもあって、稚拙な美しさを持っている。
海から引き揚げられる陶磁器は「海揚がり」と呼ばれ、骨董愛好家には珍重されているという。「海揚がり」の最大のものは、韓国新安沖の沈船に満載された陶磁器であろう。海から陶磁片が漂着するのは、昔から鎌倉と博多が知られていた。玄界沿岸を歩くと、多くはないが中国陶磁片が漂流している。
ときたま、こんなものも流れ着く。軍服の徽章と船の名前を書いた木札である。ところで、海からは爆弾といった物騒な漂着物が届くこともあるから注意したい。ときおり砂浜に錆び付いた爆弾類の破片や模擬爆弾などが出ていることがある。注意してみると、爆弾の小さな錆びついた破片が無数にある。 91年12月、宗像群勝浦浜にビーチサンダルの切れ端で作られた玩具の船が漂着していた。これは、ビーチサンダルの型抜きをした後の切れ端をうまく接着し、船底には鉄芯をつけて重心をとり、船室、マストなどをつけたもので、かなり精巧な作りである。吃水の部分にはエボシガイや藻類が付着していた。 84年の夏の日、浜を散策した。波打ち際のところで、口縁部が欠け、内に櫛描文が描かれた口径10.5pの小皿がを見つけた。鑑定してもらったら、中国は同安窯の青白磁と分かった。同安窯では青磁と青白磁の二種類が焼かれていたという。時代は宋代(960−1279年)。中国で3カ所の窯址が発見されている。
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