| Report-9 | ||
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幸せについて
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| 幸せとは何ぞや?これに答えるのは難しい。人によって答えはまちまちだろうし、また幸せとは掴んだようでも、いつの間にかスルッと逃げて行ってしまうようなものだから。しかし我がパラダイスラブ、楽園生活研究所ではこの問題を避けて通るわけには行かない。何らかの定義または仲間のコンセンサスをとっておかなければ先に進めないからだ。 |
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何が幸福かはなかなか難しいが、不幸というのはわりと簡単に思い浮かぶ。例えば戦争や飢餓。これらは人類自身が起こしているものだから、人類がその気になればなくすことができる不幸だ。また、環境の悪化による人類の生存の困難化。これも人類自らがつくり出している不幸だ。
幸せとは何かが定義できなくても、少なくとも以上のような不幸を取り除けば人は幸せな気持ちのなれるのではないだろうか。パラダイスラブでは幸せを定義するより、その反対にある不幸を取り除くことで、幸せに近付こうと思う。しかしこれが大問題なのだが・・・。 |
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戦争や飢餓の原因の一つは、資源の不公平な分配にあると思う。つまり地球上の有限な資源が一部に片寄って集積消費されていることから起こる。では皆に公平に分ければよいのかというと、問題はそう単純ではない。資源は有限であるのだから、分ける数が多ければ分け前がほんの少しとなって共倒れということが起こってしまう。だから、オレだけは生き残るという生存競争から資源の取り合いが起こるのだ。また生活の仕方で消費する資源の量が違うから、ただ均等に分配しただけでは無駄遣いもあるということだ。
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本来、地球上にいるあらゆる生き物がみな平等に地球の資源を消費すべきところなのだが、もしそうなると、人間の数は非常に多すぎることになる。少し古いデータだが、アメリカの学者の計算では、今の地球の環境をこれ以上変えることなくアメリカ人の平均的生活を維持しようとすると、地球に住める人類の定員は2億人ということだそうだ。すでにアメリカ国民だけでも定員オーバーである。地球上には60億を超す人類が生活しているのだ。結論をいうと我々は生活の仕方を根本的に変えない限り二つの不幸からは逃れられず、幸せには近付けないということだ。
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地球の未来は人類の手の中に・・・?
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| ではどのような生活の仕方に変えればいいのか?資源の消費を今の生活より大幅に少なくしても快適に楽しく生活できる暮らし方だろう。物理学的には質量=エネルギーであるから、資源の消費を減らすということは省エネ生活ということだ。しかし、技術的に大幅な省エネ生活が実現可能になったとしても、またここで問題が発生する。すべての人が省エネ生活をするとGDPが大幅に低下してしまうからだ。人の生活の豊かさをGDPの増大で判断している限り、省エネ生活は国や社会がその実現を認めないだろうし、たとえ実現しても現実に多くの不幸が生まれてしまうからだ。 |
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仮にものすごく効率がいいクリーンなエネルギーシステムが発明されたとしよう。燃料は水か何かで、触媒のようなものでエネルギーを生み出すからランニングコストもかからないという夢のようなシステムだ。もしこんなシステムの装置が世に出たら、生活が出来なくなってしまう人が大勢出現してしまうだろう。この装置のおかげで仕事がなくなってしまうからだ。エネルギー産業、自動車産業など、どんな産業でも非常に多くの人が一つの産業に関係して生活している。一つの産業の存在意義がなくなると非常に多くの人が露頭に迷うことになってしまうのだ。エネルギーシステムが変わるということは人類に恩恵をもたらすと共に一時的には大きな不幸を生み出すことにもなる。過去に優れた発明が産業界の反対で実現化しなかった例が数あるようだ。バックミンスター・フラーの場合もそうだ。
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| ではどうすればよいのか?この続きは次回に! |
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次回のレポートはこのつづき。
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